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エスペランサSC代表・コーチ オルテガ・ホルヘ・グスタボさん(後編)

2003年に前身のエスペランサ・サッカースクールが立ち上がり、今年2022年で創立20年を迎えたエスペランサ・スポーツクラブ(SC)。グスタボ氏は、トップチームのコーチとして、また運営会社であるオルテガ株式会社の代表取締役としてクラブを代表する存在だ。前編はグスタボ氏の生い立ちをお伝えしたが、後編ではグスタボ氏によるエスペランサSCについての振り返りとチームへの想いをお伝えする。



エスペランサSC代表 オルテガ・ホルヘ・グスタボ氏


エスペランサSCの関係者は過去を振り返るより、未来を見据えて前を見て進むことを重視する。そんなグスタボ氏が敢えて20年を振り返るとき感じることが、父オルテガ氏の話す言葉への受け止め方の変化だ。「父に『違う』と言えるのは自分か母くらい」と話すグスタボ氏は、常にオルテガ氏へ信頼を寄せているが、「違う」と感じた時はそのことを父に伝えることもかつてはあった。しかし、現在のグスタボ氏は、オルテガ監督が何かビジョンを語る時、「自分の意見を伝える前に、(父が)どんな話をするのか聞かないと」と、聞く姿勢が大きく変化した。その変化が起こる大きなきっかけとなったのが、週3日のみしか利用できなかった野七里グラウンドが、今ではエスペランサSCが所有する専属グラウンドとなったことだ。土地の所有者が別にいて他のスポーツ団体も野七里グラウンドを利用していた頃から「ここはエスペランサの(専属)グラウンドになる」とオルテガ氏は何度も周囲に語っていた。それは、オルテガ氏を除くエスペランサ関係者にとって、現実味のない話で長男であるグスタボ氏も例外ではなかった。


そんな野七里グラウンドをエスペランサが所有することになった経緯は劇的だった。当時土地を所有していた企業がグラウンドを手放すことを決め、エスペランサSCはグラウンドから離れなければならないと告げられた。他に利用していたスポーツ団体は野七里グラウンドから離れることを決め、エスペランサは野七里グラウンドに残れるかどうか瀬戸際の状況で話し合いが何度も行われた。そんな中でも、オルテガ氏はこの地が拠点となるビジョンを疑うことなく、当時は荒れ地で場所によっては蛇なども出ると言われていたという野七里グラウンドが安全に利用できるよう、大切な場所として早朝にグラウンドを訪れ毎日掃除を怠らなかった。そんな姿勢は所有者側にも伝わっていき、「オルテガさんにならこの土地を任せられる」エスペランサSCへの見方が好意的になっていった。同じころ、偶然にも教会の施設移転の話が持ち上がり、教会と歩調を合わせるかのように最終的にエスペランサSCがグラウンドを拠点とできることとなった。


石ころなどがあったグラウンドも現在ではエスペランサ専用グラウンドとしてきれいに整備され、人工芝も施工された。オルテガ監督が語っていたかつてのビジョンが現実となったことについて、グスタボ氏は「自分たちの努力の成果というよりも、なるべき姿になったように思える」と冷静に見つめている。当時、関係者一同はエスペランサが野七里に残れるように懸命だったことと想像できるが、それ以上に当時から何度もこのビジョンを語った父オルテガ氏の言葉が予言のようにもグスタボ氏には思えたのではないだろうか。



現在ではエスペランサス専用グラウンドとして整備されている


トップチームのコーチとして、また経営者としてクラブを支えているグスタボ氏は、父オルテガ氏と常に共に過ごしてきた自身の人生にかつて悩んだ時期もあった。アルゼンチンでは偉大なサッカー選手を父に持ち、ただ影のように親についていくだけになっている人々も多いという。しかし、グスタボ氏は父オルテガ氏の影では決してなく、クラブの代表として宮﨑専務がエスペランサに関わるまでの間はフロント業務もほぼ一人でこなし、またコーチとして選手たちの技術面だけでなく心の支えにもなってきた。父オルテガ氏の支えとなるのは自分しかいない、という自ら選んだ人生である。生き方や夢は個人では完結しない。親から子へ受け継がれていく全体が1つの人生を織りなしていく。父オルテガ氏がグスタボ氏に活躍できる立場を考慮したこと、そして元アルゼンチン代表サッカー選手である父の知名度にも助けられてきたことを、「大事にしないといけない」とグスタボ氏は語る。


エスペランサSCはJFL入りを目指し奮闘中だが、グスタボ氏らはその先にあるJ3昇格に必要となる「Jリーグ百年構想クラブ」への入会に向けて、その条件の検討も行っている。一方でどんな運営体制になったとしても、「人を大事にする」というエスペランサらしさを失わないことが大事という想いはオルテガ監督、グスタボ氏に共通している。「人を大事にする」エスペランサらしさを象徴するのが選手へのサポートだ、病気に罹る、もしくはケガ等をしてしまい、精神面でも落ち込んでしまう選手たちが乗り越えられるために、どれだけ「(精神面での)サポートができるかが大事」とグスタボ氏は強調する。学生でもプロサッカー選手でもない社会人サッカー選手という難しい立ち位置に選手たちがいるからこそ、精神面でのサポートが重要なのだろう。


エスペランサのこの姿勢は、チームを去ることになった選手に対しても変わりがない。退団する選手と次のキャリアを一緒に考え、就職を希望すればネットワークのある企業を紹介し、もしサッカーを継続することを希望する選手に対しては、別のサッカーチームにつなぐといったこともできる限り行っている。選手の選抜や人の入れ替わりがあるのはどこのサッカーチームも一緒であり、そこのかじ取りが大変なのはグスタボ氏にとっても例外ではない。もちろん選手側としても、毎週選抜を受けるのは生活もかかっており、強いストレスとなる。選抜基準はフェアでなければならず、強いチームを作るためには厳しい言葉をグスタボ氏が選手に対して投げかけ、場合によっては退団させるという辛い決断をしなければならない。選手たちとの、そんなセンシティブなコミュニケーションは、クラブの運営資金を確保するために立ち上げたオルテガ株式会社の代表者として、グスタボ氏が行っている。年間単位でともに同じチームで過ごす選手に対して、「みんなをハッピーにできるわけではない。でもサポートできることはしてあげたい。」とグスタボ氏は話す。エスペランサSCの多くの出身者らが帰って来るのは、きっとこのことと無関係ではないはずだ。


エスペランサSCの魅力を語るうえで欠かせないのが、関係者が文字通りクラブに人生を捧げているその真剣さにあるように思える。本気で取り組んでいるのは、どこのサッカークラブも同じ。それでも、オルテガ監督やグスタボコーチらはアルゼンチンから人生をかけて日本にやってきたのだ。グスタボ氏も、チームドクターを兼任するパブロ選手も、キャプテンであるアグスティン選手も、エスペランサ外部から魅力的なオファーがこれまで何度もあった。それでも、みんなエスペランサSCに人生の全てを懸けてきた。「これしか僕たちはやってこなかった」とグスタボ氏は話す。きっとそんな本気度にも惹かれて選手たちや関係者たちが集まってきたように思える。


次回はエスペランサSCの中心選手、アグスティン選手についてお伝えする。


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