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「エスペランサと一緒に成長してきた自分にとって、ここは実家のような存在」

「エスペランサと一緒に成長してきた自分にとって、クラブは家のような存在」


エスペランサSC キャプテン アグスティン・オルテガさん


アグスティン・オルテガ選手は、エスペランサSCトップチームのキャプテンとしてチームをまとめ上げる中心的な選手だ。試合では主に中盤をプレーし、攻撃の組み立てや前線の選手への決定的なパスを供給するだけでなく、ゴールゲッターの役割を果たすこともある。ホルヘ・オルテガ監督の3男として前身のサッカースクール・エスペランサ創設からスクール、ジュニアユース、トップチームにおいて1期生であったアグスティン選手は「エスペランサと僕は一緒に成長してきた。(自分にとっての)実家はエスペランサ」と自身とエスペランサSCの関係を表現する。



アグスティン・オルテガさん

アグスティン選手が初めて日本を訪れた時、彼は3歳だった。父ホルヘ・オルテガ氏ら家族とともに鳥取県で5年過ごしたがはじめは日本語がなかなか話せず、また逆にアルゼンチンに帰国してからは母国語であるスペイン語が一時期話せなくなってしまうこともあった。アグスティン選手は「あまりその時のことは覚えていない」と当時を振り返るが、文化や言葉が全く異なる国を行き来するということは、決して簡単ではなかったことも伺える。サッカースクール・エスペランサの立上げに伴い2003年、家族と共に再来日してからは、アグスティン選手は日本の小学校に通う傍ら同サッカースクール・ジュニアユースに通い、サッカーに明け暮れる日々を過ごした。2011年にエスペランサSCのトップチームの立ち上がりに伴い、スクールではコーチとして少年たちを指導しながら、エスペランサSCのトップチームの中心選手としてチームを引っ張り、神奈川県リーグで活躍した。


アグスティン選手はその後2年を経て、2013年に母国アルゼンチンの隣国ウルグアイのサッカーリーグでプロデビューを果たす。翌年にはエスペランサSCに戻り、数か月ほどプレーしたのち2015年に、当時J3リーグに所属していたブラウブリッツ秋田に入団。Jリーガーとなったが、エスペランサSCのトップチームが関東2部リーグに昇格したことに伴い、翌年に再び「実家」に戻った。エスペランサの創設からスクール生として、コーチとして、そして選手として様々な立ち位置で過ごしてきたアグスティン選手にとって、エスペランサは「特別な思いがある」クラブチームであり、自身の家族がいる「家」でもある。プロサッカー選手として過去には他チームに移籍したのも「エスペランサSCには、元Jリーガーの選手もいる」ことが、エスペランサSCに箔をつけたいと考えたから。家族やエスペランサを第一に考え、人生計画を立ててきたアグスティン選手のそんな生き方は兄、グスタボコーチとも重なる。


エスペランサ創設からともに成長してきたそんなアグスティン選手にとって一番印象に残っている試合が、自身が中学1年生でジュニアユースに在籍していた頃、同じ横浜市栄区を拠点とするライバルチームとの区大会での3度の対戦だ。1回目は大会1回戦目での対戦でライバルチームはサッカー日本代表選手も輩出するなど現地では有名な強豪チームである一方、エスペランサSCはジュニアユースが立ち上がってまだ1年目だった。下馬評では相手が有利とみられていたが、アグスティン選手によるPKでのゴールで先制し、強豪相手にリードするなど善戦。試合終了3分前に2失点し逆転され1-2で敗戦したが、試合を観戦していた人々に強い印象を残した。そして翌年の同大会の決勝戦に再びライバルチームと対戦。昨年の善戦から注目が集まり300人以上と思われるたくさんの観客が見守る中、1-0で勝利して雪辱を果たした。1年越しのリベンジでジャイアントキリングといえる熱い試合展開に観戦者も興奮し、まだ試合中にも関わらずグラウンドに入り込んだほどだったという。そして、そのライバルチームとは、その翌年にも区大会の決勝戦で激突。この試合は、オルテガ監督が当時病気であるため監督抜きで試合に臨む予定だった。しかし、試合開始直前に点滴を持ったままオルテガ氏がゴール前に訪れたという。誰もが想像していなかった展開に驚きのあまりアグスティン選手らはすぐには反応できない程だった「心強かった」というオルテガ氏のまさかの行動に大いに鼓舞され、強敵相手に2-1で再び勝利を収めた。地域でのエスペランサの認知度向上に強く寄与したであろうライバルとの激戦や父オルテガ氏のその強い情熱に触れたことは、アグスティン選手の記憶に強く刻まれている。


「実家」でチームメイトと練習について話し合うアグスティン選手

スクール生、コーチ、選手全てを経験したアグスティン選手は、自身の「実家」について、「ここではみんな生き生きしている。年齢やキャリアでの上下関係はないがお互いに対するリスペクトはある」とチームの特色を表現する。フラットな人間関係とまとまりの良さはエスペランサSCの大きな特長だが、サッカーチームである以上、選手間での競争はあり、特にトップチームは勝利することがチームの一番の目標となる。だがそれは、対戦相手にとっても同じことであり、相手に打ち勝つにはチームがまず「試合に勝つ」という共通意識を選手個人が持つことが求められるとアグスティン選手は考えている。同じチームで考え方やバックグラウンドはそれぞれであるからこそ、目標が1つにまとまらなければならない。「ピッチ外で助け合えなければ、ピッチ内でも助け合えない」と考えるオルテガ監督の強い想いがアグスティン選手にも浸透していることが伺える。「ピッチの外での助け合い」が単なるスローガンではないことを証明する1つのエピソードが、怪我した選手へのチームメイトによるカンパだ。靭帯を損傷する大怪我を負った選手がいた時に自主的にチーム内で「カンパしよう」という話になり治療費を出し合った。はじめは「少額で」という話だったが、チームメイトを助けたいという各選手の想いから、最終的には10万円以上が集まった。プロサッカー選手ではないエスペランサの選手達にとって簡単に用意できる金額ではない。「今は彼が困っているかもしれないが、いつかは自分が(困る)かもしれない。」オルテガ監督はそんな言葉を選手たちに語り、助け合いの大事さを伝えているが、そんなまとまりの良さがエスペランサSCの強さの源になっている。


アグスティン選手のユニークな一面として、アルゼンチンなど南米で良く飲まれている「マテ茶」の文化をより日本に広めたいという考えのもと、独自ブランド「Leonsana」を立上げ、自信をもって勧められる選りすぐりのマテの茶葉とオーダーメイドの専用茶器等の販売を行っている。マテ茶は栄養が豊富で「飲むサラダ」とも呼ばれ、日本でも一定の市民権を得ているが、お茶文化の日本ではもっと広まってもおかしくないと同選手は考えている。日本とアルゼンチン両国の文化に精通しているアグスティン選手ならではの観点だろう。本業もある中でマテ茶普及に注力するのは難しいが、商流が広がってきており手ごたえを感じているという。「自分たちでできるところまでやろう」というこの行動力は、チームメイトである江川選手にも感じるものだが、父オルテガ氏の影響を感じさせる。


アグスティン選手は今後の目標について、JFL昇格が目標であり「区切りになる」と語る。チーム創設から選手としてチームを引っ張り続けた同選手にとってJFL昇格はサッカー選手としての集大成になるかもしれない。残念ながらトップチームは2022年10


月関東2部リーグに降格してしまったが、今後も掲げた目標の達成に向けてアグスティン選手の奮闘が期待される。次回はアグスティン選手の兄で同じくエスペランサSCの選手でもあり、チームドクターとしての顔も持つパブロ・オルテガ氏に話を伺う。


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